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往年の女流名ヴァイオリニストを聴く 第11回

諏訪根自子(1920~2012)の足跡を追って  (全2回) 
その1 天才少女時代 滞欧時代 戦後のトップスター時代

2015年3月22日
分科会資料
担当 : 霜鳥 晃

 

13歳
19歳 パリ・デビュー
28歳

 

1920(大正 9) 山形県鶴岡市出身、資産家の次男順次郎(東洋大学哲学科卒)と山形県酒田市出身、声楽家を目指していた今田瀧の長女として(現)渋谷区広尾に生まれる。父の実家はその少し前に倒産。
    「根を養えば木は自ずから育つ」の意を込めて「根自子」と名付けられる。
1923(大正12)3歳 豊島区目白に移転。偶々隣家の小学生が小野アンナに師事。彼女はアンナの高弟中島田鶴子に師事。
1924 (大正13) 4歳 父に連れられ来日中のジンバリストの公演(帝劇)を聴き、ヴァイオリン熱が一層高まる。
1925(大正14)5歳 小野アンナ(アウアー門下)に直接師事。小学校を毎日早退、母に伴われ小石川小日向台に通う。
1927(昭和2)7歳 父の友人の紹介で、一条侯爵家の園遊会の余興として演奏し、来賓たちを驚かせる。
1930(昭和5)10歳 音楽評論家野村光一の紹介で、亡命ロシア人ヴァイオリニスト モギレフスキーに師事。
小野アンナに伴われ帝国ホテル投宿中のジンバリストを訪ね、演奏を聴いてもらい絶賛される。
1931(昭和6)11歳 朝日新聞に「ヴァイオリンの天才少女現る。ジンバリストを驚かした目白の根自子ちゃん」という見出しで根自子の存在が報じられる。
1932(昭和7)12歳 セーラー服を着て日本青年館で初デビュー、タルティーニ等のソナタをロイヒテンベルク夫人のピアノで演奏。来日中の仏女性ヴァイオリニスト ルネ・シュメーに絶賛される。
1933(昭和8)13歳 大阪朝日会館で関西デビュー演奏会開催。新交響楽団定期公演にソリストとして招かれ、日比谷公会堂で山田耕筰の指揮、ブルッフの協奏曲をオーケストラと初共演する。
日本コロンビアに最初の録音。父母の確執。12月27日「家出事件」が報じられる。
1935 (昭和10) 15歳 根自子をヨーロッパに送りだそうとの機運が高まり、ベルギー公使、外務省も乗り出し、徳川義親侯爵の支援を取り付ける。近衛秀麿の計らいで渡航前に3回目の録音。
1936(昭和11)16歳 朝日新聞主催で、渡欧送別独奏会が日比谷公会堂だ開催。超満員となる。
ベルギーのブリュッセル音楽院に留学。宮廷ヴァイオリニスト・エミール・ショーモンに師事。
1937 (昭和12) 17歳 来栖大使夫人アリスに伴われ、ベルギー王宮に伺候、エリザベート皇太后等の御前で演奏。
1938 (昭和13) 18歳 留学期限が迫る中、パリの原千恵子(P)の勧めとローマで日伊交歓晩餐会の主催者大倉喜七郎男爵に招かれ演奏、男爵の後援でパリに移住。ボリス・カメンスキーに師事。 同宅に寄宿。
1939 (昭和14) 19歳 5月パリ・デビュー演奏会。 9月 第2次世界大戦始まる。
1940 (昭和15) 20歳 在仏邦人の帰国が始まるが、根自子も日本大使館より帰国勧告を受けるが、パリに留まる。
1941 (昭和16) 21歳 独軍パリ進駐。ジャン・フルネ指揮のコンセール・ラムルーの演奏会でチャイコフスキーの協奏曲を弾き、ジャック・ティボーに称賛される。ベルリンの日本大使館員大賀小四郎と初めて出会う。
1942 (昭和17) 22歳 ベルリン市長の招きでベルリンに赴く。歌手兼女優田中路子夫妻邸に逗留。
1943 (昭和18) 23歳 大島大使公邸に移住。日独親善友好により、ドイツ赤十字による各地への慰問コンサートに参加。
その謝意として、ナチスの宣伝相ゲッペルスから名器ストラディヴァリウスを贈呈される。
クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィル定期でブラームスの協奏曲を協演。パリに戻る。
1944 (昭和19) 24歳 連合軍のノルマンディ上陸により、空襲とゲリラの奇襲を避け乍らベルリンへの決死の逃避行。
1945 (昭和20) 25歳 5月米軍に拘束されアメリカ経由11月米軍用船で10年ぶりの日本に送還される。
1946 (昭和21) 26歳 10月、東宝・朝日の共同主催により、帰朝第1回記念演奏会が帝劇で開催され、続いて日本各地で演奏会が開催される。いずれでも満員札止め、大成功を機に東宝の専属ソリストとして第一線での演奏活動が始まる。ピアノ伴奏を某外国人に依頼するが、ナチスの件で断られる。
1947 (昭和22) 27歳 帝劇で東宝交響楽団の定期コンサートに出演、サン=サーンスの協奏曲第3番を演奏。
1948 (昭和23) 28歳 日劇で東宝交響楽団のコンサートに出演、近衛秀麿指揮、ベートーヴェンの協奏曲を演奏。
高木俊郎監督脚本による東宝の芸術映画「幸運の椅子」に出演。ラロの「スペイン交響曲」演奏。
1949(昭和24) 29歳 NHKラジオ第2放送「放送音楽会」で上田仁指揮、東宝soとブラームスの協奏曲演奏。
1950 (昭和25) 30歳 同上「放送音楽会」に放送出演、田村宏のピアノでフランクのヴァイオリン・ソナタ演奏。
「モギレフスキー滞日25年記念謝恩演奏会」で上田仁指揮、東宝soとチャイコフスキー、メンデルスゾーンの協奏曲を演奏。
1951 (昭和26) 31歳 東宝交響楽団から東京交響楽団への改組記念演奏会が歌舞伎座で開催され、上田仁指揮、ブルッフの協奏曲を演奏。 「クロイツェル・ソナタ」を原千恵子とデュオリサイタル。
1953 (昭和28) 33歳 来日予定のジャック・ティボーから手紙が届き、ティボーを自宅に泊める準備中、彼の飛行機墜落事故死を知らされ茫然とする。
1955 (昭和30) 35歳 ニッポン放送でバッハ無伴奏全曲を2週にわたって放送。
1957 (昭和32) 37歳 小野アンナ楽壇生活50年記念謝恩演奏会に出演、斎藤秀雄指揮桐朋学園オーケストラの伴奏で巖本真理とバッハの「二つのヴァイオリンの為の協奏曲」を演奏。
1961 (昭和36) 41歳 3月のNHK交響楽団との共演記録のあと、絶頂期にも拘わらず突然表舞台から姿を消す。
  (次回に続く)

演奏曲目

前半: 天才少女時代(13歳~15歳)のヴァイオリン小曲集

13歳:ペルペテウム・モビール(リース)*、14歳:アンダンテ・カンタービレ(チャイコフスキー)
14歳:美しき天然(田中穂積/山田耕筰・編)・・・・以上は画像にて
SP盤よりCDにダビング(使用蓄音機:米国ビクトローラ・クレデンザ、マイクロフォンで録音)
13歳:ユーモレスク(ドヴォルザーク)*、スーヴニール(ドルドラ)
14歳:オリエンタル(キュイ)、タイスの瞑想曲(マスネー)       「スペイン舞曲(ファリャ)」
15歳:セレナード(シューベルト)、荒城の月(滝廉太郎/山田耕筰・編)、トロイメライ(シューマン)

ピアノ伴奏: *印 上田仁、 他は全て ナディダ・ロイヒテンベルク(モギレフスキー夫人)

後半: トップスター時代 29歳 新発見の曲

1949年11月28日 NHKラジオ第2放送番組「放送音楽会」での録音。
アセテート盤からのCD化につき音質は良くないが、根自子唯一の協奏曲録音として大変貴重である。
    ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77
        上田 仁(まさし) 指揮  東宝管弦楽団 
第1楽章 Allegro non troppo (cad.ヨアヒム) ニ長調 3/4拍子 ソナタ形式 (23:48)
第2楽章 Adagio     ヘ長調 2/4拍子 複合3部形式 (09:50)
第3楽章 Allegro giocoso, ma non troppo vivace ニ長調 2/4拍子 ロンド・ソナタ形式 (08:25)

以上