AAFC

『ピアノ音楽の楽しみ方』 第7回
名曲の名演奏を聴き比べながら
ピアノ音楽の歴史を学ぼう!

2016年5月8日

分科会資料
担当:高橋 敏郎

 

<第七回> ピアノで描く詩人ショパンの多様かつ魅力溢れるピアノ・ワールドの探求
              -ショパン・シリーズ その2-

前回は19世紀ロマン派音楽のなかでもユニークな独自性を主張するショパン音楽におけるバロック音楽や古典派の影響を検証したが、今回はショパン自身が自ら創造したり発展させたジャンルについて探求したい。
第一は練習曲(エチュード)のごとく、それまでは単にピアノの練習用教材にすぎなかったジャンルをショパンが芸術化した例、第二は祖国ポーランド周辺に伝わる民族舞曲であるポロネーズ、マズルカ、ワルツなどを素材にピアノのために魅力豊かに変貌させた例、第三がバラード、スケルツォ、幻想曲、舟歌、子守唄のようにショパン独自の創造になる例であろう。
彼は短い生涯にこれら多岐に亘る分野を自在に駆使しながら、他の全く追随を許さない独自のピアノ・ワールドを築き上げたのである。
今回はこうした広い分野から代表例として、練習曲、ワルツ 及び 舟歌や子守唄などの小品を取り上げてみたい。

A. 練習曲(エチュード)

既に述べたように、練習曲とは その名の通り本来教則目的なもの。とてもコンサートのプログラムにのせるような代物ではなく、あくまで日々のトレーニングによる技術の向上を意図としたもので、芸術的価値とは凡そ無縁の世界である。しかるにショパンのエチュードは、いかなる音楽的鑑賞にも耐えうる超難度な技術を内在し、しかも音楽的芸術性と魅力に溢れる作品に仕上げてられている。
ショパンは生涯にこうしたエチュードを合計27曲残したが、時期的にはいずれも若いころに集中している。下記の通り、3つのカテゴリーに分類するのが一般的となっている。

a. 作品10の12曲(1829-32)
第1番ハ長調 / 第2番イ短調 / 第3番ホ長調<別れの曲> / 第4番嬰ハ短調 / 第5番変ト長調<黒鍵> / 第6番変ホ短調 / 第7番ハ長調 / 第8番へ長調 / 第9番ヘ短調 / 第10番変イ長調 / 第11番変ホ長調 / 第12番ハ短調<革命>

b. 作品25の12曲 (1832-36)
第1(13)番変イ長調<エオリアのハープ> / 第2(14)番ヘ短調 / 第3(15)番へ長調 / 第4(16)番イ短調 / 第5(17)番ホ短調 / 第6(18)番嬰ト短調 / 第7(19)番嬰ハ短調 / 第8(20)番変二長調 / 第9(21)番変ト長調<蝶々> / 第10(22)番ロ短調 / 第11(23)番イ短調<木枯らし> /第12(24)番ハ短調<太洋>

c. 作品番号なしの3曲 (1839)
第1番(25)ヘ短調 / 第2(26)番変イ長調 / 第3(27)番変二長調

通常は作品番号なしの3曲を除いて作品10と作品25の計24曲を通しで演奏されることが多い。とくに著名な作品は、作品10-3「別れの曲」や作品10-11「革命」など。

本作品はショパン・コンクール最大の覇者、ポリーニの録音を中心に聴きいてみたい。

マウリツィオ・ポリーニ (r. 1960 - Testament) 作品10 No.1-6 (15' 29) 1960年
コンクール直後、EMIスタジオで録音され、半世紀を経て2011年に発売された珍録音。

マウリツィオ・ポリーニ (r. 1972-DGG) 作品10 No.1-No.12 全曲 (27' 01)
コンクール優勝後、謎の空白12年間を経て満を持して録音した従来極付けとされる名録音。

時間があれば、有名な第3番「別れの曲」のみを下記著名ピアニストで比較してみたい。
    A.コルトー(3'58) - G.シフラ(4'05) - S.フランソワ(3'26) - J.オグドン(4'15)など

B. ワルツ (1829-40)

もともとレントラーと呼ばれたドイツ、オーストリア周辺の山岳地帯に住む農民の舞曲がウィーンに移入されて1817年を境に爆発的に流行ったのが、ウィンナ・ワルツであるが、ショパン自身はこのウィンナ・ワルツにはあまり興味はなかったようである。
本来の目的は、むしろワルツの特性である華麗さとか優雅さに注目して、独自のピアノ音楽を創造することにあったのではなかろうか。従って初期に作った作品18「華麗なる大円舞曲」以外の作品は実用的な舞踏のための曲とはいい難い。

第1番変ホ長調<華麗なる大円舞曲> / 第2番変イ長調 / 第3番イ短調/ 第4番へ長調 <猫のワルツ>/ 第5番変イ長調 / 第6番変二長調<子犬> / 第7番嬰ハ短調 / 第8番変イ長調 / 第9番変イ長調<別れ> / 第10番ロ短調 / 第11番変ト長調 / 第12番ヘ短調 / 第13番変二長調 / 第14(16)番変イ長調 / 第15番ホ長調 / 第16(14)番ホ短調 / 第17(19)番イ短調 / 第18(17)番変ホ長調<ソヌテヌート> / 第19(18)番変ホ長調

ショパンは20曲を越えるワルツを作曲したと言われるが、その作曲時期も多岐に亘る。しかも生前に出版されたのは8曲のみ。現在広く知られて演奏されるのは、死後出版を含めた作品番号つきの13曲に、ホ短調の遺作(ブラウン作品番号56)の計14曲(No.1-No.14)である。著名な作品は「別れのワルツ」(No. 9)、「子犬のワルツ」(No. 6) など。

古今のワルツ集の名録音といえば、録音状態がイマイチで惜しまれるが、やはりリパッティによる2種類であろう。典麗優雅なこのリパッティを中心に聴き比べたい。

ディヌ・リパッティ(r. 1950 -Geneve EMI) 名演。もう一つ死直前のライブ録音もあるが、今回はスタジオ録音をとった。(44' 47 )
但し全14曲の順番を 4-5-6-9-7-11-10-14-3-8-12-13-1-2 に変更して演奏している。

サンソン・フランソワ No.4-No.9 (6曲)(r. 1963 EMI )  自由奔放で、サロン風の演奏。リパッティを正統派とすれば、こちらは感覚派とでもいうべきか。(16' 06)

 

C. 幻想曲、子守唄、舟歌などの小品

ショパン音楽の特異性を示すジャンルといえば、当然上記の中でも第3の分野であるが、今回は幻想曲、舟歌、子守唄といったキャラクター・ピースと呼ばれる小品群を中心に聴いてみたい。
どの作品もショパンらしい独創的な素晴らしいピアノ曲であるが、このジャンルは夫々1曲づつしか作曲していない。何れも戦前よりいわゆるレジェンドによる名録音が多い。

a.  幻想曲(ファンタジア) ヘ短調  作品49 (1840-41)

最初の出だしの部分が中田喜直の「雪の降る街」と似ていることでも有名。
バラード風で4拍子の自由なソナタ形式による作品。行進曲的な導入部に続き、三連音符の連なる力随い提示部。やがて静謐な循環部分を経て熱情的なコーダで終わる。サンドの別荘で書かれた。力作といえようか。

アルフレッド・コルトー(r.1933-London EMI) (11' 30)
ローザ・タマルキナ  (r. 1947 Melodiya) (11' 31)

b. 子守唄(ベルスーズ) 変二長調  作品57 (1843-44)

単純な一つの旋律とその16回の変奏による子守唄。左手は終始同じリズムと和音。右手は優雅なメロディを歌い続ける。SPレコードの時代から人気曲だった。

ヴァルター・ギーゼキング( r.1938 PL) (4' 22)
アルフレッド・コルトー (r.1946-London EMI) ( 4' 12 )

c. 舟歌(バルカロール) 嬰ヘ長調  作品60 (1845-46)

上記幻想曲はサンドとの愛の結実によるものだったが、本曲は破局直後の作品。舟歌と呼ばれるが様式は完全に夜想曲(ノクターン)といってよい作風。最高のノクターンと評した評論家もいたが、ショパンの全作品でも優美な点では屈指の傑作。

アルフレッド・コルトー(r.1949-London EMI) (7' 52)
ヴラディミール・ホロヴィッツ (r.1979 RCA)   (8' 55)

 

今回のピアニスト略伝

アルフレッド・コルトー(1877-1962) 

スイスのニオン生まれ。パリ音楽院でルイ・ディエメに学ぶ。20世紀を代表するフランス系ピアニスト。
17年にパリ音楽院教授に就任したが、当局と意見が合わず、19年エコール・ノルマルを創設し、後進の育成に尽力した。またショパン、シューマン、リストなど楽譜の校訂にあたった。19世紀的ロマン色の濃い演奏の典型だが、ショパン弾きとして知られた。
52年来日。

ワルター・ギーゼキング(1895-1956)

フランスのリオン生まれだがドイツ系。ハノーヴァー音楽院でカルル・ライマーに師事。ドイツを代表するピアニストとなり、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンとともに、ショパンなどロマン派、ドビュッシーなども得意とした。
53年来日。

ヴラディミール・ホロヴィッツ(1903-89)

キエフ生まれ。10年キエフ音楽院卒。翌年デビュー忽ち名声を博す。
28年ニューヨーク・デビューを果たし大成功をおさめる。40年以降、アメリカに定住。
指を伸ばして弾く独特の奏法。強靭なタッチと完璧な技法で20世紀最高のピアニストの一人と云われた。

ディヌ・リパッティ(1917-50) 

ルーマニア、ブカレスト生まれ。34年、ウィーン・ピアノ・コンクールで2位となるが、審査員のひとりコルトーはその結果に満足せず席を立ってパリに帰ってしまうという有名な逸話がある。以来パリ音楽院でコルトー門下となる。
白血病のため33歳の若さで死去。数少ない残された録音は何れも品格とポエジー溢れる珠玉の名演といわれる。

ローザ・タマルキナ(1920-50)

キエフ生まれ。少女のころから天才振りを発揮し12歳でモスクワ音楽院入学、ゴリデンヴェイゼルに師事、17歳でショパン・コンクールに参加、ヤコブ・ザークに次いで第2位となったが、そのときの幻想曲が審査員バックハウスに絶賛された。
将来を嘱望されたが、26歳で癌と診断され、惜しまれて30歳で他界した。

サンソン・フランソワ(1924-70)

フランクフルト生まれ。フランスのピアニスト。コルトー、ルフェブュール、ロンなどに師事。
ニース音楽院、エコール・ノルマールを1等賞で卒業。43年第1回ロン=ティボー国際コンクールで大賞。コルトー亡き後、フランスピアノ界の第一人者となったが、46歳の若さで他界した。

マウリツィオ・ポリーニ(1942-)

ミラノ生まれ。ミラノ音楽院で学ぶ。
1960年生誕150周年記念大会の第6回ショパン・コンクールで圧倒的支持を得て18歳で最年少優勝。名誉審査委員長のルービンスタインは「彼はここにいるどの審査員よりも上手い」と絶賛した。
以降の活躍は説明不要であろう。ショパン演奏においても切れ味鋭い感性と緻密なテクニックが特徴。
年齢とともに枯れてはきたが、現役最高のピアニストの1人。

以上