ベルリンフィル・ヨーロッパコンサート

(その2)

AAFC例会資料

2012/06/10

担当 : 清水 俊一

カラヤン亡き後アバドを音楽監督に迎えた1991年から、ベルリン・フィルの創立記念日である5月1日を記念して、ヨーロッパ各地の歴史的な建築物やホールで開かれているコンサート。 裏面参照

指揮者 これまでアバドが6回(音楽監督在任の12回中)、次いでラトルが5回(同10回中)登場している。 次いで、バレンボイムの4回、ハイティンクの2回というのが複数回。あとはメータ、ヤンソンス、 ブレーズ、ムーティ、ドゥダメルが各1回。

2003年ポルトガル、リスボンにおけるコンサート

ブレーズ(Pierre Boulez, 1925年3月26日 - )は、フランスの作曲家および指揮者。
パリ国立高等音楽院でアンドレ・ヴォラブール(アルテュール・オネゲルの妻)とオリヴィエ・メシアンに対位法や作曲を師事するが中退し、ルネ・レイボヴィッツ(レボヴィツ、レボヴィス)にセリアリスムを学ぶ。
作曲の弟子にはバーゼルの音楽大学で教えたハインツ・ホリガーがいる。
指揮者としてはニューヨーク・フィルハーモニック(音楽監督 1971 - 1978)、
アンサンブル・アンテルコンタンポラン(創設者・首席指揮者 1976 - 1979)
1976年から1980年にはバイロイト音楽祭に出演。パトリス・シェロー演出の『ニーベルングの指環』は賛否両論を巻き起こした。

マリア・ジョアン・ピレシュ(Maria Joao Pires、1944年 - )は、ポルトガル出身の女性ピアニスト。現在はブラジル・バイーア州・サルバドールに在住。
リスボンで生まれた。幼少期からピアノを始め、7歳でモーツァルトの協奏曲を公開演奏した。9歳で、ポルトガル政府から青少年音楽家に与えられる最高の栄誉を受け取った。1953年から1960年までリスボン大学で作曲・音楽理論・音楽史を師事。それから西ドイツに留学し、ミュンヘン音楽アカデミーとハノーファーに学ぶ。1970年に、ブリュッセルで開かれたベートーヴェン生誕200周年記念コンクールで首位となる。この間に、個人的にヴィルヘルム・ケンプの薫陶を受ける。1970年代には、デンオンと契約してモーツァルトのソナタ全集を録音した。
室内楽演奏にもすぐれており、1989年よりフランス人ヴァイオリニストのオーギュスタン・デュメイと組んで演奏や録音を続け、1992年と1994年には、二人でヨーロッパ各地や日本での演奏旅行を行っている。1998年には、チェリストのジャン・ワンを加えたトリオとして、極東ツアーを行った。
2008年8月~12月、NHK教育テレビの番組「スーパーピアノレッスン」の講師を務めた。

ジェロニモス修道院
ジェロニモス修道院とはポルトガルの首都であるリスボンのベレン地区にある修道院であり、世界遺産のひとつである。
ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓及び、エンリケ航海王子の偉業を称え1502年にマヌエル1世によって着工され、1511年に回廊など大部分が完成したものの、その後、マヌエル1世の死やスペインとポルトガルの同君連合による中断等もあり、最終的な完成には300年ほどかかっている。
その建築資金は最初バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、その後も香辛料貿易による利益によって賄われた。マヌエル様式の最高傑作と言われている。
付近には同じく世界遺産であるベレンの塔や発見のモニュメントが存在する。

本日の演目 ・ラヴェル:クープランの墓  「プレリュード」、「フォルラーヌ」、「メヌエット」、「リゴドン」                                         (3:21  5:50  5:11  4:53)
・モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466      (14:40   8:31   9:38)

      

( 以 上)